5G基地局に信号機解放。。

 

早、6月となり。。

九州は夏の蒸し暑さと大雨が降る荒れた天候の日が続いている。

今月末あたりに、G20の国際会議が大阪で開催されることになっており

地元福岡では、この6/8~9の土日で

麻生副総理兼財務大臣主導の中央銀行総裁会議が開催されている。

 

令和元年となり

何やら周りに色々と変化が起こる慌ただしさを感じている。

 

そして、今週のはじめの6/4には

日経新聞の一面に「5G基地局に信号機解放」

とデカデカと掲載されていた。

 

政府の新たなIT戦略として全国に設置されている約20万基の信号機設備を

NTTドコモなどの国内通信4社に解放し

次世代の通信規格『5G」の基地局として活用して行くというもの。

 

全国に設備された信号設備を活用することで5G普及速度を上げ

世界の5G化競争に対応しようというものだ。

これは、自動運転や災害時の情報共有などの官需だけでなく

民需データーも併用活用していくという、すごい発想だ。。

 

これまで、特に警察組織の設備に

民間設備を併設するということは考えられなかったが。。

今の海外の動向や特に中国のIoTとAI技術の進化スピードは極めて早く

日本は、このままでは取り残されてしまうという危機感は

私も中国出張のたびに感じてきたことだった。。

 

我々も交通信号業界情報の中で

この5Gの信号設備活用の話はかなりホットな話で。。

つい先月末に聞いたばかりだった。。

それが、もう新聞紙上に公開されようとは思っていなかったが

これも今月末のG20国際会議に関係しているのだろうな。。と思った。

 

計画としては、2020年度から主要都市で実証実験を行い

2023年度から全国展開をめざすとされており

かなりの急ピッチで実行計画されていく模様だ。。

 

この具現計画において

5G電波は、直進性が強く飛ぶ距離は半径数百メートル程度とされており

信号灯器の高さや位置の空間が最良の場所と選定されたようで

信号灯器に5Gアンテナを設置する計画との事だった。

 

これが具現化されれば、

確かに、きめ細かなネットワーク構築が

低コストで短期間に実現できるかもしれないと思えた。

 

5Gの普及に信号機がその重要拠点となっていく。

その実現の一役を担いたいと思う。

 

さて令和元年、この変化をチャンスとしていこう。

 

 

 


令和元年、経営計画発表会と交流会。

 

5月も早月末となり、令和元年を祝う10連休が明けてから

何か慌ただしく時が過ぎ。。

 

先週末の5月25日には

トランプ大統領夫妻が令和改元で初の国賓として来日し

日本財界との交流・ゴルフ・大相撲・拉致被害者との交流・海上自衛隊・駐留米海軍との交流など

ハードスケジュールを精力的にこなし

主目的の即位されてまもない今上天皇との会見も終えて

日米の絆を強調し、先日の28日に無事

エアフォースワンで帰路についた。

 

同じ米国の大統領なのに

オバマ大統領来日の時と何か随分と違った

国民の受け入れ感触だったように思えた数日だった。

 

きっと東京は、戒厳令並みの警備だったのだろう。。

何もなくてよかった。。

 

そして、これはトランプさんのせいじゃないが。。

その最中の26日に

北海道の網走地方佐呂間で何と、、5月の全国最高気温を更新する

39.5度という観測史上初となる暑さとなった。

これは、やっぱり地球の温暖化が進んでいる実感だった。

 

まあ、何かと”初”が多い5月だった。

 

そんな中、我が社では年に一度の

全社員を寄せて年度の業績報告と新年度への経営計画を公表する

経営計画発表会を先週末の5月25日に開催した。

 

 

 

そして、その前日に営業も含めた全社員交流会を

4月に本社事務所を移転したこともあり、その新事務所の広場で

バーベキューなど自前の手料理をそれぞれの部署で披露し

新オフィスのキッチン機能も活用して

新たな空間の可能性も感じながらの全社員交流の場を用意した。

 

 

 

 

まあ、その日は無礼講で、ビールや炭酸水の一気飲みバトルなどもやって

日頃顔を合わせないメンバーともそれぞれに交流を楽しんだ。

 

 

 

 

 

その中で、『富士山に登り隊』の女性メンバーからのアピールもあり

今年は、7月18日〜20日で再チャレンジのアタックをするという

決意表明の披露をしてもらった。

 

勤続30年表彰などもあり。。

3級リーダーメンバーとグローバル人材研修メンバーが協力して

交流会を盛り上げてくれていた。

 

 

 

私はその日、本社に集まった営業メンバーとの

評価面談などもあって、その場にいる時間は少なかったが

和気藹々の社員交流の場になったと思えた。

 

 

 

そして翌日は、打って変わって

市内のホテルに場を移して、緊張感を持って経営計画発表を行った。

 

次世代の取締役メンバーが主体となって進めてくれて

新たな時代へ

襟を正す社風の改革を進めようと伝えていた。

 

 

当社の年度決算は、6月だが

残り一ヶ月程で決算落ち着き見込みは見えており

今年度も山あり谷ありで色々と会ったが、皆んなの努力で

2018年度当初目標を達成できそうで、まずまずの成果を収められそうだと伝えた。

皆んなよくやってくれた。

 

 

 

その中でも業績を牽引してくれた、販売部門と

構造物案件を対応してくれた設計課とポール構造物製造の荒尾事業所に

今年度の社長賞を贈ることにした。

 

 

しかし、我々を取り巻く外部環境の変化は強烈で

10年は続くだろうと言われる米中の覇権争い絡む過激な貿易戦争

その余波を受けて、日本の半導体需要は急速に減少し始めているらしい。。

 

また、国内における深刻な人口減少問題は

少子高齢化を加速し税収悪化と

あらゆる業種に消費の減少と成熟感を与えている。

 

そして、IoTとAIの技術の進化は

あらゆる業種に変化を与えようとしている。

それを天使とするか悪魔とするのかは

この時代の変化にどう対応していけるかなのだろう。

 

 

 

どんな時にも常に変化が起きているのが事実であり

自分の肉体細胞も日々新陳代謝が行われ続けているのが事実だ。

60歳を過ぎると体が老化していく感覚に気づかされる。。

 

我々を取り巻く環境変化も

明治維新の時も世の中の価値がひっくり返る激動の世界だったろうし

昭和初期から太平洋戦争に突入する時も激動の変化だっただろう。。

 

そして、平成元年の時も

中国の天安門事件やベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦がロシアに変わっていく激動の時代で

日本は、バブル経済の崩壊へと価値観が変わっていったのが事実だ。

 

価値観の変化をチャンスとして成長していく企業が

次の時代を担うのだろう。。

 

 

先読みの難しい時代だからこそ

将来の夢を描き、計画し、それを共有して

失敗しても諦めず、次なる手を打ち続けていく組織が

その場所や組織の大小に関わらず

次の繁栄を手にする事が出来るのかもしれない。

 

弱者であった哺乳類が地球上で進化し続けて生き残り

体力的にはひ弱な人類が、長い時間をかけて体の色も変え

環境に順応しつつ、道具を生み出すことで

地球全土に種族を反映させてきたことが

その証なのかもしれない。

 

 

 

今年も若い社員メンバーからの決意表明をもらって

次の世代へ繋いでいくことの重要性を改めて感じた。

 

今回の行事に携わってくれた全てのメンバーへ

ご苦労様でした!

 

 

さて、令和元年『節目の年、時の変化を共に活かしあう』としよう。

 

 

 


平成の総括Part2、海外事業。。

 

平成の総括として少し視点を変えるが

当社には『小さくても世界に通用する会社創り』というビジョンがある。

 

それは、日本という島国から外に出た事で

私の小さ過ぎた視野と固定観念に捉われていた考えから

解放されてきた体感から生み出されてきた。

 

この10連休に入る前の4月末の週に私は上海にいて。。

 

 

当社のグループ会社UTS上海の董事会を行い

当社社員のグローバル研修最後の中国サバイバルツアーの報告会に立ち会って来た。

 

平成が終焉した中で

当社の海外事業もこの平成時代に生み出して

その時代の変化に動かされて来たな。。と

 

上海の董事会で振り返る事があって

当社の海外事業についても少し平成時代の総括をしておこうと思う。

 

当社の海外事業は、

当社の名誉会長(父)が台湾新竹のメンバーと

地域のライオンズクラブ海外交流で出会った事に端を発しており

1985年の頃だからもう三十数年も前にその基点はある。

 

1992年(平成4年)に我が社は

西日対策信号灯器で灯器メーカーとしてデビューした事から

名誉会長(当時68歳)の台湾、韓国との交流の中で

海外への販売と部材の調達を試みるようになった。

 

私も60歳を過ぎて、当時の父の年齢に近ずいてきたが、

心も体もこの感覚で海外事業をやり始めたのだな。。と

その意欲に、只者ではないパワーを感じてしまう。

 

その後、世界で信号灯器LED化が始まり1999年(平成11年)

台湾メンバーと合弁会社UTS(Universal Traffic Signal)を設立し

無謀にも当社はLED信号灯器を国内より先に海外へ販売しようと

台湾メンバーとアメリカ、カナダ、シンガポールへと国際展示会に出展して回った。

 

【台湾UTSメンバー陳さん、余さん、曾さん:2002年】

 

その台湾メンバーもあまり父と変わらぬ昭和初期の年代であり

戦後をしたたかに生きぬいた高齢な方々に

私は、海外事業を学んだ。。

 

そして、2000年(平成12年)〜2006年(平成18年)ぐらいに掛けて

台湾、マレーシア、モンゴル、タイ、カンボジアへの輸出を実現し

設置実績を積み上げていったのである。

 

まあ、販売額としては大きなものではなかったが

九州のど田舎の中小企業にしては、意欲的でそこそこの実績を上げた。

 

【モンゴル・ウランバートル:信号灯器+信号・照明ポール輸出2003年】

 

【アメリカ・フロリダ世界展示会に出展:2004年】

 

また、2006年(平成18年)から海外調達拠点を台湾から中国に移して

2008年(平成20年)には、

UAEのドバイにUTS中東、そして今も現存するUTS上海を設立し

ドバイでは、RTA(日本の国土交通省に当たる機関)にLED灯器をアピールし

海外諸国との性能試験を実施し高い評価を得たが

2008年に起きたリーマンショックにより

残念ながら、その夢は潰えてしまったが。。

 

【ドバイ・RTA性能試験:世界各国の性能試験で高評価を得る2008年】

 

中国上海に海外拠点を設けたUTS上海は

海外の輸出入の窓口として活動を進めて来た。

 

2009年(平成21年)には、ドイツの照明メーカーHess社と交流を持ち

現在のライティング事業SD Lihtingに繋がっている。

海外事業がなければ、当社の照明事業も無かっただろう。

 

【ドイツ・フィリンゲンにてHess社経営メンバーと古閑総経理と私2009年】

 

この間、海外事業に多大な影響を与える為替レートは

1995年(平成7年)1月の阪神大震災の後

4月、1ドル=79.75円のハイパー円高を記録し

 

東日本大震災3.11の後、2011年(平成23年)3月にも

1ドル=76.25円というハイパー円高を記録して

大きな社会変動がある度に、経済指標も揺れる事を知った。

 

【創立5年目のUTS上海メンバー:2012年5月】

 

円高においては輸出が行き詰まり、円安においては輸入が行き詰まる。

自分たちの活動努力に関係なく

この為替レートの変動により、海外事業は翻弄され

その読みと采配は、極めて難しい選択を強いられてきた。

 

そういった意味では、グループ会社のUTS上海も

設立して10年を昨年迎えて

時代のうねりの洗礼を受けた来たといえるだろう。。

 

しかし、その中でしたたかに生き抜く力を

私も世界の人々と接しながら培って来たものがあった。

 

また、日本の常識は非常識、、日本は特殊な国なのだと

そして、非常に魅力のある国なのだという事も

外を見て深く知る事が出来たと言えるだろう。

 

なので、海外という大海に出て

世界と自らを知る体感を繋いでいきたいとの想いから

グローバル研修と称して

当社の次世代リーダー教育として

外を見る機会を次世代メンバーに用意しようと試みている。

 

 

その研修の最後に、中国におけるサバイバルツアーとして

独りで、上海から列車に乗り

重慶、西安、成都、広州、北京へ

阿弥陀籤で当たった場所に4日間の一人旅をするという。。

海外経験の無い者にとっては、けっこうハードな企画である。

 

各グローバル研修メンバーから報告を聞いたが

上海から新幹線で行っても11時間以上掛かったという重慶や成都メンバーは、

激辛の火鍋や麻婆飯豆腐の洗礼で少々の辛さには慣れましたとか。。

 

秦の始皇帝の兵馬俑を観てそのスケールの大きさと精巧さに感動したり

北京の故宮や万里の長城に行き、中国のスケールの大きさに驚いたり。。

 

広州でレンタル自転車を堪能しサバイバル感無しの楽勝感一杯で

乗り込んだ帰りの飛行機が何と3時間も飛び立たず缶詰め状態だったとか。。

 

まあ、色々あったようで。。

それぞれに独り旅を堪能し、多少たくましくなって帰ってきたようだった。

 

UTS上海の董事会では、親会社からの自立と

これまでの経験を活かし

日本の中小企業海外進出をサポートする会社組織として成長させていきたいとの

古閑総経理の志を頼もしく聞いた。

 

グローバル研修メンバーとUTS上海の新たなメンバーも加えて

四川料理の食事会で交流した。

それぞれに次なる世代に期待しよう。。

 

 

 

さて、我々を育ててくれた平成が終わり

『令和元年』となり、日本の新たな時代が幕を開ける。

 

当社のビジョン『小さくても世界に通用する会社創り』を

『令和時代』に実現しよう!

 


遅まきながら、平成の総括を。。

 

『令和』改元記念10連休をつかって

当社の平成時代の総括をと過去の記録を紐解いていた。

 

振り返って、記録しておきたい。。

 

当社は、1972年(昭和47年)10月23日が創業で

5名(父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん、叔父ちゃん、叔母ちゃん)の

家内制手工業から始まっている。

当時、父は48歳でかなり遅まきの創業である。

 

昭和末期である昭和63年までの約16年間に

当社は、交通信号業界の材料メーカーとして

ボックス部門、ポール部門を主力に成長し

新たな開拓分野として当社は

1985年(昭和60年)アルミ鋳物型車両灯器の開発を成功させ

1987年(昭和62年)アルミダイカスト型車両灯器筐体の生産を実現して

信号灯器アルミ筐体の生産委託販売までを行う

製造メーカーとなっていた。

 

業界大手の上場企業さんからポール構造物の委託生産や

信号灯器OEM委託生産が増加し、売上規模は倍増するが

反面、人も設備投資も倍増し固定費は膨らみ、利益率は悪化していた。

 

そして、委託生産における他社任せの受注見通しで

先の読めない不安定な

経営的危機に直面していたのが昭和末期だったように思う。

 

我が社は、『昭和』から『平成』への改元と共に

「小さくてもメーカーになる」との決意で

平成2年(1990年)に私が中心になり営業部を発足している。

最初は、男2名、女性3名ぐらいのスタートだったが。。

当時の社長(父)が東京開拓、私が関西開拓へと事業開拓を進めた。

 

平成3年:警視庁における差し込み式端子箱の採用

平成4年:東京営業所開設、大阪へ関西営業所開設

     *創業20周年:糸永一平社長(兄)へ世代交代

平成5年:警視庁にて擬似点灯防止型車両灯器(92B)が全面採用となり

     当社は信号灯器メーカーとなる。

平成6年:擬似点灯防止型歩行者灯器(94B)生産開始

平成7年:中国営業所開設(広島)

平成8年:東北営業所開設(仙台)*資本金を2千万から8千万に増資。

平成9年:北海道営業所開設(札幌)、福岡営業所開設

平成10年:アルミダイカスト一体型車両灯器筐体開発

平成11年:LED車両灯器開発*台湾との合弁会社UTS設立

平成13年:ISO9001認証取得

平成14年:警視庁にて車両灯器LED化がスタート。192型LED灯器生産開始

平成15年:中部営業所開設(名古屋)

平成16年:アルミ押し出し薄型車両灯器生産

平成17年:海外部品調達を台湾から中国へ移管

     *糸永康平社長へ世代交代。ISO14001認証取得。

平成18年:表面処理・塗装・組み立ての一環生産灯器ライン稼働。

平成19年:信号灯器販売約2万灯を達成

平成20年:中国へUTS上海設立

平成21年:信号灯器販売約3万灯を達成

平成22年:ドイツ照明会社Hess社との合弁会社SD.hess Lighting設立

     *12月創業者糸永の他界

平成23年:新型LED車両ランプユニット108型生産開始

     信号灯器販売約3.3万灯を達成

平成24年:創業40周年記念式典の開催

平成27年:SD.hess LightingをSD Lightingへ社名変更(独資会社へ)

平成28年:警察庁「低コスト信号灯器」開発の実現

平成29年:他社ODM信号灯器生産委託開始(業界信号灯器生産シェア:約50%超を達成)

     *3名の新任取締役を選任、取締役会の設置

平成30年:本社事務所移転計画と情報体系化プロジェクトへの投資

 

という平成30年までの我が社の歴史概要だが。。

 

 

三人の同族社長による経営采配で

平成元年において売上額:約10億(91名)の会社は

平成30年には売上額50億台(142名)の会社に変貌を遂げ

グループ会社4社を入れると約220名ぐらいの規模となっている。

 

当社にとって平成は「小さくてもメーカーになる」という決意から

ただひたすらその実現の為になり振りかまわず

走り続けた来た時代の申し子であったのかもしれない。

 

それを達成できたのもその時代に意欲を持って

それを成し得て来た社員メンバーの努力の賜物であったと思う。

次の世代経営は、社員から次のリーダーを選任したいと考えている。

 

 

しかし、時代はますます不透明感とIT技術の進化により

先読みの難しい時代となっている。

 

大事なのは、『令和』時代、これからなのだ。。

 

 


『令和元年』に想う。。

 

今日は、五月五日こどもの日だ。

 

4月末からの10連休がもう終わろうとしている。。

今年は、ゆっくり休養しようと何も計画せずに休日を楽しんだ。

 

毎朝、6時頃から妻の万歩計に付き合い、大牟田の街をゆっくり歩いてみたり

平成時代をゆっくり振り返る時間にとも思って

過去の記録を紐解いて見たり

過ぎ去ってみるとあっという間の時間だった。。

 

4月30日の平成天皇退位から

5月4日の令和天皇の皇居における一般参賀(約14万人参賀)まで

日本中が天皇と改元に湧いた数日だった。。

 

まるで、年末年始が二度来たような

この国の民のフィバーぶりを国内報道が伝え続け

年齢を問わず、改めて。。

日本人と天皇制というものの繋がりについて考えさせられ

海外から見たら、きっと

不思議な国、日本に見えるのだろうな。。と思った。

 

しかし、かく言う私も、

国の象徴として、戦後の日本の国のあり方について

諸国を歴訪され、誠実に向き合われて来た「平成」明仁上皇には

頭が下がる思いがあったりする。。

本当にご苦労様でした。。

 

歴代天皇は、現人神と伝えられる神武天皇から営々として繋がり

敗戦後の昭和天皇が人間宣言をされるまで

そういう存在であり続けた。。

 

日本国憲法に日本の象徴として規定された事を

第125代「平成」明仁上皇がそのあり方について

戦中戦後の日本を体感された中

即位された時から向き合って来られたのだなと思える。

 

明治天皇以降、改元は天皇の代替わりと共に行われて来たが

それ以前はその制約はなく

701年『大宝』以降、元号は制定されつづけ『令和』は248番目らしく

「令和」徳仁天皇は、第126代ということになる。

 

だから日本は、

古代から現代まで営々と天皇制と元号制定を継承し続けて来たし

この国の民は、それを受け入れ続けて来た中でそれが染み付いていて。。

良くも悪くも

世界でも唯一無二の国なのだろう。。

だから、無くすのは勿体無いような気になるし

外からとやかく言われるとつい角が立ってしまいがちな事になる。。

 

マッカーサーが天皇制を無くせなかったはずだ。。

 

和暦も西暦も基本的には、人が規定したものに変わりはない。

しかし、その節目を自分なりに良い方向に捉えて

基点として自分の生活のあり方を見直す好機に捉えていければと思う。

 

さあ令和元年、良い時代にしていこう。

 

 


桜と春の息吹と時代の変化と。。

 

4月初めに

赤いぼんぼりに染まる夜桜が幻想的で、それに魅了されるように人が寄り合い

賑わいを見せていた丘の上にある広場は。。

 

4月も半ばに近づくと今度は

花吹雪が舞い、広場一面に薄桃色の花びら模様が美しい。

 

 

桜散る散歩道は、寒の戻りで少し肌寒いが

九州ではもう、赤いツツジが咲き始めた。

 

季節の変化は

春の息吹に緑が美しく、平成の終わりも刻々と近づいている。

 

 

そんな先週末、当社は本社事務所移転で。。

皆んなそれぞれに

これまでの机を整理しつつ、新たな空間の事務所に移動を始めた。

 

まだ、落ち着かない感じだが。。

天井が高いガランとした空間も人が入ると事務所空間になっていくものだ。

 

 

4月9日に財務省から新たな紙幣発行の公表がなされた。

2024年上期に発行されるらしい。。

 

一万円札が

渋沢栄一氏(近代日本を牽引した明治時代の実業家:1840年〜1931年)で

裏面が東京駅・丸の内駅舎らしい。

 

五千円札は津田梅子女史

(近代日本を牽引した女性で津田塾大学創設者:1864年〜1929年)で

裏面が女性らしく藤の花らしい。

 

千円札は

北里柴三郎氏(破傷風結成治療法を確立、ペスト菌の発見:1853年〜1931年)で

この方も近代日本に功績を残した人物だ。

裏面は、浮世絵師葛飾北斎の富獄三十六景とのことだ。

 

キャッシュレス化が進むと言われるこの10年

5年後にこの紙幣が発行される頃、果たしてどうなっているのだろうか。。

 

 

私は、戦後の『昭和』生まれで「人情と根性」で育った世代だが。。

我々が『明治』の近代日本史を哀愁を持って呼んでいたように

『令和』生まれの子供たちには

『昭和』をそうゆう感覚で語る事になるのかもしれない。。

 

 

そう、これまでもそうだったように

時代の変化は常に我々の前にあるのが事実で

その過酷な変化の環境に適応したものが進化の道を辿るのだろう。

この地球で哺乳類が生き残り、進化し続けてきたように。。

 

 

さあ、もうすぐ平成が終わる。。

新たな時代へ進もう。

 

 

 

 

 

 


花見と入社式と『令和』公布。。

 

早、4月となって桜は全国的に満開となったが

この一週間ほど、全国的に寒波がおとずれて、ちょっと夜桜は敬遠する寒さだ。

 

そんな先週の3月末に当社は、花見で。。

東京ビックサイトのライティングフェアー2019や

本社事務所のお披露目会やらで

イベントごとが多く多忙だった3月がこの花見で締めくくりができて

ようやく、事業年度が終わった。

 

 

業績的には、今のところ定量目標をクリアーしており

私としては、ホッとできる花見だった。

しかし、一年通して見ると色々と問題もあった年で

反省することも多かったとかの思いが出てくる。。

 

酒を飲み交わしながら、満開の桜を見つつ

今日は野暮な考えは忘れて、日本の四季の美しさを

皆んなで、ただただ楽しむ事にした。

 

 

 

何故日本人は、この薄桃色の花が満開になる日を全国的にこうも待ちわびて

散りゆく花を惜しむのだろう。。

その短命の潔い姿に美を感じるのは、

自分の生き様の不甲斐なさを律する心なのか。。

 

 

この寒さで、今年の桜は満開の日持ちが良いらしい。

子供達の入学式までなんとか持ちそうで善かった。。

 

 

 

翌週の月曜日は、区切りよく4月1日で入社式だった。

そして、その日の午前11時半が和暦新年号公布の日で

何やらいつもの四月一日ではなかった気がした。

 

 

今年の入社式は、新卒者と中途採用者を含めて

新しい事務所会議室を使って行なった。

 

 

新事務所での入社式は何か勝手が違って

まだ足が地についていない感じがしたが。。

当社が昭和47年創業で、今年はちょうど47年目の入社式という事になるのだなと。。

まあ、これも何かの節目の年なのだと思わせるものだった。

それに新年号が交付される日で、やはり節目の年なのだと感じさせるものがあった。

 

新たなメンバーを加えて、この日を起点に我が社も再出発をしよう。

そう単純に決意した。

 

 

入社式が終わって、暫くして。。

 

「社長、新年号が公布されました。」と管理部スタッフが言ってきた。

それで、新年号が『令和』ということを知り、「レイワ?」と呼ぶのか。。と

 

 

振り返れば、平成元年は1989年で

 

その新年号の年は。。

2/9 漫画家の手塚治虫氏が他界

4/27 松下電器の創業者、松下幸之助氏が他界

6/2 竹下登内閣が総辞職

6/4 中国北京で天安門事件が起こる

11/11 ベルリンの壁崩壊

12/3 ブッシュ米国大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長が冷戦の終結を宣言

12/29 東証の日経平均株価が史上最高値38,915円を記録

    (これを境に株価は下落に転じバブル崩壊へと進む)

 

といった、大波乱の年であり世界的に時代の転換点だったのだ。。

 

 

あれから30年、

天安門事件やベルリンの壁の崩壊など世界はあたかも自由民主主義の勝利のように見えたが。。

その後

1991年 米国とイラクの間に湾岸戦争が勃発

2001年 アメリカで同時多発テロ9.11が起こり、アフガニスタン侵攻が米英主導で進む

2003年 米英のイラク侵攻によるイラク戦争が勃発

2006年 自称「イスラム国」ISILが発足、世界ヘのテロ活動要因となる。

     イラクフ・セイン大統領死刑執行

2011年 チュニジアでアラブの春、これまでのベン・アリー独裁政権が崩壊

 

この流れの中で、中東における独裁政権が崩壊し民主化が進むかに見えたが。。

中東諸国に内乱が続くことで難民がヨーロッパに押し寄せる事になり

EUにおいて難民問題が深刻な陰を落とす事になる。

 

そして、2015年フランスの同時多発テロ、2016年ベルギー多発テロ、2017年ロンドンテロ事件と

EUでの移民によるテロが多発し。。

 

それが、イギリスのユーロ圏離脱に繋がり、

米国におけるトランプ大統領就任に繋がっていくことになり

自由民主主義のけん引役だったはずの米英は、自国第一主義に走り壁を築き始めてしまった。。

 

 

そして、ベルリンの壁の崩壊からソ連邦は、連邦解体後にロシアとなり

プーチン大統領が登場して旧ソ連邦時代の誇りと権威を取り戻したいとの民意が

彼を再選させ続けている。

 

また、もう一つ大きな転換点であった中国は、

天安門事件から小平指導のもと江沢民、胡錦濤、そして習近平総書記とリーダーが受け継がれていく中で

2008年に北京オリンピック、2010年には上海万博を成功させ

日本を凌ぐ急激な経済成長を遂げ

世界の工場から習近平総書記が提唱する「一帯一路」構想をもって

米国を凌ぐ世界のリーダー国へと更に成長し続けている。

 

                        

 

そして日本は、この30年の間に

平成元年(1989年)共にバブル景気の崩壊が始まる

平成7年(1995年)阪神大震災が発生、

平成10年(1998年)アジア通貨危機、

平成13年(2001年)9.11アメリカ同時多発テロ発生

平成20年(2008年)リーマンショック米国発の世界経済恐慌

平成23年(2011年)東日本大震災

平成28年(2016年)熊本大震災

 

といったことが起こっており、経済の劇的変化と自然災害に翻弄された30年であったのかもしれない。

その中で、世界の名目GDPランキングでは米国に次ぐ第二位だった日本は2010年にその座を中国に明け渡し

少子高齢化と共に経済成長率としてもG7の中でもイタリア、イギリスと共に低成長国となっている。

 

しかし、平成30年の間に一度も戦争を日本はしなかったと語られた今上天皇の言葉どうり

それが一番大事な出来事であったのかもしれないし、

それを「令和」時代に繋いでいく事が重要なことなのだろう。。

 

                              

『令和』という言葉は

「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」

という万葉集巻五の梅の歌にある一文から典拠されたらしい。

 

この春の時期に馴染み、日本中が『令和』に沸いた4月1日だった。。

 

そしてこの歌は、大伴旅人が太宰府の長官だった時の「梅花の宴」の様子を表しているものらしく

発祥の地が福岡の太宰府だという事も嬉しい事でもある。

 

「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」

ん〜節目の時、出発の春に相応しい歌だなと感じる。。

 

さて、今回も激動する世界情勢であり、新たな節目の新年号の年。

良い時代の口火を切りたいものだ。

 

 

 


桜の開花とお披露目会。。

 

3月も下旬となり桜の満開は、今月末ぐらいらしい。

例年より桜の満開が早いと言っていたが

先週から朝夕と寒の戻りが厳しく肌寒い日が続いており

開花は幾分遅れ気味のようだ。。

 

当社の花見も今週末に計画したのでちょうど良い時期なのかもしれない。

 

 

先週半ばぐらいから、この大牟田地域でも桜の開花が見られて

ちょうどその頃に当社の本社事務所移転のお披露目会を行なった。

 

今回、社屋が建設110年の文化遺産という事もあり

大牟田市民の方々にも広く知っていただく事も

この大牟田の地で育てもらった恩返しでも有ると考え

 

日頃このような派手なことは不慣れなのだが。。

お披露目会とゆう場を持たせていただいた。

 

 

この建物を活用してプロジェクションマッピングの実演をすることにしており

前日まで小雨が降っていたので天候を心配していたが

当日はみごとに晴れてくれて、自然神が後押ししてくれたと思った。

 

 

 

しかし、夕刻からは寒く。。

外でのちょっと長すぎた来賓挨拶やプロジェクションマッピングは

来てくれていた子供たちには、ちょっと厳しかったかなと思えた。

 

 

来賓の方々は、中尾大牟田市長や商工会議所の板床会頭も来ていただいたし

当社の創業者である父と懇意にされていた事もあるのだと思うが

古賀誠先生(元自民党幹事長)が藤丸代議士と連れ立って

駆けつけて来られたりして、ありがたかった。

 

 

 

それに、古くからお付き合いのある下村学長や秋田デザイナーや

福岡ライティングデザイナーの松下美紀社長も

ご多忙の中、駆けつけていただいて、ありがたかった。

 

 

 

 

 

 

大牟田市の人々に文化遺産を土台に本物のマッピング映像を見て欲しいな。。という

今思えば、実に我が儘な話を

ライティング事業で「New Public Lighting」をテーマに共同開発を進める

ウシオライティング椿社長に実現してもらった。

 

たった1日の30分の為に。。

 

私が希望した「春夏秋冬」のテーマで映像ソフトを作っていただいて

機材提供から前日深夜までのスタッフの調整を行い実現できたことは

感謝に絶えない。

おまけに、社長本人が大牟田まで来ていただいてスピーチまでしてもらった。

 

 

 

 

まあ、集まって来てもらった方々には、本物のすごさを知ってもらえたと思えた。

子供達のウワ〜という歓声が嬉しかった。

 

大牟田文化遺産の観光資源の活かし方を考える一助になればと思えた。

 

文化遺産を活用し「外見は古く威厳があり、中身は自由度高く最新鋭」というオフィースを実現し

文化遺産の観光資源を活かすマッピング映像を実演できないか。。

 

 

 

という、企画を進めたものの

どれもそれなりにハードルが高くお金も必要としたが

中途半端に終わらせるのではなく、

可能なところで最高のものを生み出すことの追求と努力が

常にどんな活動にも必要なのだと今回もやってみて思えた。

 

言い出しっぺだが、、やり終えてホッとしている自分がいる。。

 

 

お披露目会にお集まりいただいた多方面の方々

ご来場、本当にありがとうございました。

 

そして、このお披露目会に携わった各メンバー

社長の我が儘によく対応してもらいました。

 

本当にご苦労様でした!

 

 

 

 


節目の時、新社屋お披露目会へのお誘い。。

 

3月も半ばを過ぎ、日中に小春日和の穏やかな日があったと思いきや

寒の戻りで朝夕ぐっと冷え込んで雨が降ったり雹が降ったり

何やら季節の変わり目のせいか不安定な日が続いている。

 

それに、今年の桜前線は例年になく早いらしく

4月を待たずに満開となると気象庁が伝えている。

 

 

最近の世界情勢は

2月末、ベトナムの首都ハノイで行われた米朝首脳会談は、結局物別れに終わり。。

3月上旬に予定していた

米中の世界を巻き込む危ういディール外交の結論も延期され、

ユーロ経済を巻き込むイギリスのEU離脱もまた3月の議会でも否決されて

世界経済恐慌が起こるかもしれないと言われた3月は、

結局問題の先送りとなりった。

 

だが、世界状勢は未だ迷走を続けている。。

 

世界の自由と民主主義とグローバル化を牽引して来たはずのイギリスとアメリカが

自国第一主義に走り、壁を築きはじめる姿に

人社会の理想とは、一体どこにいくのだろうと。。

世界が困惑しているように見える今がある。

 

そんな時代に日本は

4月に新年号が発表され5月より新天皇即位とともに

新たな年号となる節目の時を迎える事になっている。

 

 

そして、我が社も時を同じくして

4月より本社事務所移転という節目を迎えることになっている。

 

その新社屋は、当社の工場と隣接している煉瓦造りの建物で

1909年に三池炭鉱専用鉄道が電化されたことで

三池炭鉱専用鉄道の変電所として建設され

当時のイギリス積み煉瓦で二棟並列した建物だ。

 

本来三池炭鉱の閉山とともに解体されるはずだったが

その変電所のメンテナンスをされていたサンデン北川社長が

三池炭鉱社から購入され施設解体の危機から救われ

社屋として長い時間をかけながら修復、再利用され

2000年12月に国登録有形文化財となり、大牟田市の文化遺産となった建物である。

 

そして、我が社の創業者である父と北川社長が懇意ということもあり

生前に「本当に良いことをされたと」語っていたそうで

この建物を気に入っていたという。

 

それで、北川社長も高齢になられたという事もあり

2年前に当社に譲りたいとのお話があった。

実は、どうしようか…と迷ったが。。

 

創業者達の想いを繋ぎたい気持ちと

将来現在のオフィースを工場の生産ラインとして拡張する考えもあったので

これも何かの縁と節目だと考え踏み切ることにした。

 

110年も前に建てられたレトロな煉瓦造りの二棟並列な建物はそのまま残し

内部は耐震補強を行い最新鋭のオフィースを創造することを目指した。

 

 

長男が東京で内装のデザイナーをやっていた事もあって

彼の斬新なデザイン性を信じて任せてみることにした。

 

しかし、文化遺産ということもあって色々と問題もあり

システム投資にもお金も使ったが。。

東京にも無い個性的で最新鋭のオフィースには仕上がったと思える。

 

10年後の日本は、

あらゆる業界が成熟期を向かえ

人口減少がそれに拍車をかける10年と言われている。

 

・「人口減少」を乗り越える為の長期計画

・成熟期を迎えた業界が次へ向かう中での戦略

・インターネットAI+IoT普及による活用手段とデーターベース構築の必要性

 

これは、次世代への経営継承を含めた

10年先への投資であり

第二の創業を意識した未来への節目の投資であると考えている。

 

 

働く者が多様なコミュニケーションが可能となるよう

場所を選ばずワークできる環境を用意し

思考環境のバリエーションを選択できる試みもした。

 

それに、信号灯器のミュージアム的なスペースもあって。。

文化遺産を事務所化することで文化財保護と広告媒体としても

活用していきたいと考えている。

 

 

という事で。。

文化遺産ということもあり

一般市民の方々にも見ていただこうとお披露目会をすることにした。

 

3月22日(金)夕刻より開催することにしている。

 

それに、そのお披露目会にライティング事業でタイアップすることになった

ウシオライティングさんの協力で

本格的なプロジェクションマッピングをこの建物をつかって

実演してもらうことになっている。

 

東京デズニーやUSJなどで演出している本物が観られる。是非!

 

 

 


LIGHTING FAIR2019からの報告。

 

 

2年に一度のビックサイトでのLighting Fair2019。

照明メーカーとライティングデザイナーとのコラボ展示会。

今度で5度目の出展となった。

 

最初のデビューは、

2011年ドイツのHess社との合弁会社SD.hess Lightingとして出展。

その最初の出展デビューの最終日に東日本大震災3.11が発生。

あの衝撃は、今でも忘れられない。。

 

2013年は、2度目のSD.hess Lとしての出展で

Hess社とのOEM提携生産などを行い国内販売を進めた。

 

2015年、3度目の出展においてはHess社との全株を取得。

社名変更SD Lightingとして再デビューし

ドイツのMeyer社とも出会う中でSDLオリジナル製品ATUMOなども出展し、

新たなる出発をした展示会だった。

 

2017年、4度目の出展ではスマートポールやソーラーポールなど

当社独自のポールと照明が融合していく可能性の提案展示を行った。

 

 

そして今回、2019年5度目の出展では

これまでと切り口を変えてNew Public Lightingをテーマとして

Meyer社やウシオライティング社との新たなコラボレーションで

屋外公共空間の光の演出を主題とした出展を行なった。

 

 

      【Meyer社長とのスナップ】

 

我々のみで考えるのではなく

我々の発想とこれまで培った技術を

色んな会社と繋がっていく事でその可能性を広げていく事ができる。

 

これまでに無かったアイディアを一早く製品化していくスピード感が

これからの時代に必要とされている。

 

そして日本は、これから少子高齢化社会になっていく。

 

これから増えていくお年寄りを家の中に引き篭もらせるのではなく

外の公共空間に賑わいを持たせ

ヨーロッパの街並みのように

子供達から高齢者までが楽しめる広場空間を整備し演出する事で

コミュニケーションが生まれ、内部経済も回り始めるだろう。

 

ローカルな街中にも

小中学校の統廃合が進み、活用されない空間が増えている。

 

SD Lightingが提案するNew Public Lightingでは

例えば、プロジェクションマッピングを活用して

夜の広場の路面が海になり鯨が泳いだり、川や池となって魚が泳いだり。。

何もない広場がナイトシアターにしたりできる。

 

 

 

その公共空間には、拡散型の光害をスポットライト型の光に整備し

街路樹を魅力的にライトアップし、必要なところを明るくする事で

魅力的な街のあかりを演出できる。

 

そうやって公共空間に賑わいをもたせる事で

市民の自由出店によるマルシェなども集まって

海外からのお客さんもその情報をチェックして寄ってくるだろう。。

 

 

 

そして、その空間が災害時に避難場所として

照明、WiFi、充電、カメラ、スピーカー、インターホンなどの機能があれば

安全安心が担保できる空間として災害時に活かされるだろう。

 

 

 

そんな夢を実現してみたい。。

SDLightingNew Public Lightingのテーマは、その実現にある。

 

今回出展して感じることは

照明のLED化がもう当たり前となってもう珍しくもない

展示会の来場者数も随分と減っているそうだ。

 

出展する日本メーカー側に新たな発想がないと顧客は離れていく

日本のあらゆる業界でその事が問われている時代だと感じる今回の展示会だった。

 

さてさて

この度、会場にお越しいただいた

多くの方々、ありがとうございました!

 

 

 


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