当社の40周年記念誌ができた。
装丁は、シンプルだが中味は濃ゆい。
固っ苦しい記念誌はやめて、どこを開いても面白い
雑誌みたいな記念誌にしようとスタッフと話して…
40周年記念式典に配布できるようにつくり上がってきた。
「信号電材は、しれば知るほど面白い」がテーマの記念誌だ。

皆で創ってくれたようだ。。
10年後に振り返って読み返しても楽しく読めると思えた。
その記念誌の巻頭文を書いた。
それを記録しておこうと思う。。
もし欲しい方がいたら、多少多めに作ったので・・
なんとかなるかもしれない。。

**記念誌巻頭文******************『自由闊達に。。』
子供の頃、鉄腕アトムやケネディーのアポロ計画を観ながら育った者にとって
科学技術と経済の発展は、エネルギーや食の問題も解決が見えて
地球上のあらゆる人々と自由に交流できるような…
21世紀の扉は、そんな希望に満ちた未来の世紀のように思い描いていた。
しかし、21世紀の現実は2001年9・11ニューヨーク同時多発テロと共に
これまで世界経済を牽引してきたはずの欧米諸国経済の衰退と
高度経済成長を遂げアジアの代表国となるはずだった日本の老化だった。
そして追い打ちを掛けるように2011年3・11東日本大震災の発生で
言いようのない深いダメージを日本は受けて
今、世界経済と日本の国内環境は、何とも不透明感漂う21世紀の幕開けとなった。

1972年に故名誉会長が死線をさ迷い復活した体で
遅咲きの48歳にして起業した我が社は
戦後約30年、70年安保闘争が吹き荒れ、浅間山荘事件、沖縄返還、
日本列島改造論を唱えた田中角栄首相の就任
そして、2月に冬期札幌オリンピックが開催されるという
大きな変動の年に産声を上げた。
創業者の想いは、先ず家族の生活を守る事
そして東京オリンピック当時、首都東京で交通信号工事を通して体感した
交通信号事業への夢の実現があったのかもしれない。
それから40年、創業者が家族の生活を支える為に起こした会社は
社員の生活を支える会社となり、海外の人々とも交流し、
車社会の安全の一躍を担う会社に成長を遂げた。
しかし、それは決して平坦な道のりではなかった。
時代の環境変化は、常に生けるものに試練を与え続け、
それに適合したものだけが進化を遂げ、種を存続してきた。
そのプロセスの中にあって、常に必要とされ続ける企業とはどうあるべきかを
我々は問い続ける必要があるだろう…
創業者は、30周年記(78歳)に『世に資するものを作り続けて』という言葉を残している。
そこに40年間、我が社を支えてきた進化の鍵があるのかもしれない。
我々は、創業者の原点を知りその意思を継ぎ、先ず自らの家族を愛し、
社の繁栄がそこに集う人々の営みを支え、地域への貢献となり、
我々が活動する業界発展に繋がるものであると考えよう。
だから今、不透明感漂う時代が目の前に広がっているが、
萎縮せず、これまでもそうだったように自由闊達に歩を前へ進めていく事をここに誓い、
それを現していこう。
2012年3月吉日 文責:代表取締役社長 糸永康平。
***************************全文
さあ、今日は経営計画発表会で全社が集まり
明日は、40周年記念式典だ。
皆がそれぞれこの二つの式典の準備に動いていた
ご苦労様です。。
せっかくなので、皆で思いっきり楽しみましょう。。























































