多忙なる5月が終わる。。

 


 

九州では、紫陽花が咲き始める季節となった。

朝夕は、まだまだ涼しいが

日中は、もうすぐそこに、夏の到来を予感させる。


 

先週の521日は、金環日食で日本中が湧いた。

天照大御神の天岩戸の神話は、

きっとこの天体ショーを見た太古の人々の驚きを現しているのだろう。




残念ながら九州地区は曇りで我々は直接見ることはできなかったが

当社の天体マニアの中村君は、何と佐多岬まで行って

カメラに捉えていたらしく…
その写真を掲載させてもらった。。



 




先週は、当社のグループ会社であるUTS上海(宇拓司貿易有限公司)の

決算報告董事会で上海に居た。

UTS上海も早いもので4回目の決算を終えて

古閑総経理の下、若くて意欲のある中国メンバーが増え

毎年、右肩上がりの決算内容で頼もしく思っている。

 

この生き馬の眼を抜くような中国の上海にあって

良く人心をまとめ成長させてくれていると思う。


 


当初のUTS事業(海外事業)の目的は、

SHINGO-Dブランドを世界へ広げる事にあったが

やっていく中で、多様性と独自性を持って中国に根ざす

魅力のある会社に育ってくれたら良いなと思うようになった。


まあ、もちろん当初の目的は達成すべく進めている。


 


5
月は何かと忙しく・・

心と体を休ませる間が無く、少し体調を壊した。

 

数日、ボ〜ッとしていたいが、そうもいかないか。。

 

                     




創業40年の内祝い。

 

5
月も早、半ばが過ぎて

九州の気候も暖かというより
暑いという表現に変わってきたが
この5月に関東地区では、異常気象現象で竜巻が発生したり、氷が突然降ったりで

最近の日本は、何が起こるかわからない、、
といった雰囲気がある。

世界経済も一時、ユーロ圏も安定軌道に乗り始めたかのように思えたが
この5月、フランス大統領選挙とギリシャ議会総選挙の結果
フランスのサルコジ大統領は失脚し社会党のフランソワ・オランド氏となり

ギリシャ連立与党議席は、過半数割れとなって

ギリシャのユーロ離脱とデフォルト懸念が囁かれ
またもやユーロ不安が再燃し、退避策としての円が買われ
円の為替相場は、$で80円を割って79円台となり

100円台となった。

そして、日経平均株価は今年最大の下げを記録し8600円台となった。

 

欧州危機への懸念が世界の投資マネーを急激に萎縮させ

金融界がまた大混乱している。。



そんな中、先週末の512日に当社の創業40年の内祝いを行った。
前にも述べたが、今回の記念式典は
前述したような外部環境の問題もあり
業界のお客様や取引業者の方はお呼びせず
地域の政財界からの代表の方々と海外からの数名の来賓をお呼びして
外へ向けての式典とはせず、主体は当社の社員と家族
そして、グループ会社の社員を招いての内祝いとさせていただいた。

そのため、伝わり方に行き届かない面や
失礼な面があったのかもしれないので、ここでお詫びして

お許し願えればと思う。


                     




記念式典の前日に全社員とグループ会社社員集合の経営計画発表会を行い

2011年度の成績発表と2012年度の経営方針について

経営計画書を基に経営側と各部所長から説明し

その中身を皆で確認し合った。

業績としては、前年度より売上は下がったが、

最終利益は前年を上回る結果を残せそうでホッとしている。

 

創業当時、総員5名でスタートした会社が

グループ会社社員を含めた総員は、230名程の組織帯になったのだなと

ホテルの会場を借り切って

そこに集まったメンバーのそれぞれの顔を見て、深くそう思うと共に

その責務の重さを実感した。

 

いつもは、この経営計画発表が終わると

一つ大きな肩の荷が降りるのだが、

今年は翌日が40周年の祝賀会で…ホッとする間も無かった。。


 


その日の午前中は、当社の工場見学ツアーを企画していて

社員の家族やグループ会社メンバーや地域の方なども参加する
結構大掛かりな工場見学ツアーとなったようだ。

信号灯器を生産している大牟田事業所と
ポール生産をしている荒尾事業所が準備してくれて







しかし、いつの間に、ロボット型のシンゴウちゃんなんぞを

私に黙って密かに荒尾事業所メンバーが造っていて、、

目玉は、LEDで発光するようになっているようだ。

動けば凄いのだがな…
まあ、おかげで両事業所のマスコットが出来たみたいだ。。




    【荒尾事業所作のロボット・シンゴウちゃん。。】

何だか最近、我が社員の自由闊達度に研きが掛かってきた感じがする。。


初めてのこういった外部からの工場見学受け入れをやって

良い体験になったのだと思う。

おかげで工場の整理整頓ができて、見違えるように工場が綺麗になった。

また、違った切り口でやってみたいと思った。


 


さて、午後から40周年式典を大牟田のホテルの会場を貸し切って

総員約330名ぐらいの祝賀会になった。。


14
00スタートの1900終焉の計画で始めた。

テーマは、ありがとう40年『家族の支えに感謝』として

夫婦と子供連れの参加を募って

会場には、キッズスペースも作って受け入れた。





 


40
周年の式典に台湾、中国、シンガポール、ドイツから駆けつけてくれて

おまけに色々な贈り物を披露してくれたりで

これまでの海外での活動を支えてきてくれた方々に改めて深く感謝し

これからも更に交友を深めていきたいと思った。


【ドイツからHess社の社長もオクトーバーフェストスタイルでスピーチ。】

 

    【由井社長からは、暖かいスピーチをいただいた。】

また、国内来賓で東京からわざわざ来ていただいた

ヨシモトポールという日本を代表するポールの総合メーカーである

由井社長からは、暖かいスピーチを頂いた。

御歳はもう80を過ぎられているが、現役の社長で、私の敬愛する経営者の御一人だ。

ビジネスを超えた親父のような暖かさをお持ちの方で

私のような者にも気軽に声を掛けていただいて

これからも御元気で活躍いただきたいと思っている。



 


式典の後半は、各部署やグループ会社の紹介パフォーマンスとなっており

我が社特有の気合の入った出し物に

つい、何時このような練習やビデオ作品を撮っていたのかと…

ちゃんと仕事の合間にやったのだろうな…

と、疑いたくなるような出来栄えで

特に荒尾事業所のレゲーダンスや

UTS上海メンバーの女性達の踊りと衣装はなかなかのものだった。。



 【入社歴34年の社員、福田の腹話術は、プロ並みで
                地域の慰問ボランティアを続けている。】

我、取締役メンバーもこの日に備えて密かに練習したが

やはり時間がなく、奇抜さだけで勝負し、会場では意外に受けたが…

やはり、コンテスト評価対象外にされてしまった。


ちょっとその画像はお見せできない。。


 


まあ、10年に一度でグループ会社社員も含め

一堂に会する事は初めてでもあったので、皆で思いっきり楽しんだようだった。

それが今回の式典の大きな目的でもあったので…

目的は達成したと思っている。

 

しかし、ちょっと楽しみ過ぎて…

終了したのが予定時間を2時間も超過してしまったそうで。

真に来賓の方々やホテルの関係者にはご迷惑をかけてしまった。

さて、記念式典も終わり、祭りも終わった。


この式典を機に

それぞれが自立し、一つになって

つねに必要とされ続ける企業を目指し


皆、それに邁進していこう!

 

 

 

 
 【最後まで残っていただいた、約300名ぐらいの集合写真、ありがとうございました!】







40周年記念誌、『自由闊達に。。』

          


当社の40周年記念誌ができた。

装丁は、シンプルだが中味は濃ゆい。

固っ苦しい記念誌はやめて、どこを開いても面白い

雑誌みたいな記念誌にしようとスタッフと話して…

40周年記念式典に配布できるようにつくり上がってきた。

 

「信号電材は、しれば知るほど面白い」がテーマの記念誌だ。

            

                    
SD会メンバーの遠藤君がリーダーになって

皆で創ってくれたようだ。。

10年後に振り返って読み返しても楽しく読めると思えた。

 

その記念誌の巻頭文を書いた。

それを記録しておこうと思う。。

もし欲しい方がいたら、多少多めに作ったので・・

なんとかなるかもしれない。。


 


**記念誌巻頭文******************『
自由闊達に。。』

 

子供の頃、鉄腕アトムやケネディーのアポロ計画を観ながら育った者にとって

科学技術と経済の発展は、エネルギーや食の問題も解決が見えて

地球上のあらゆる人々と自由に交流できるような…

21世紀の扉は、そんな希望に満ちた未来の世紀のように思い描いていた。

 

しかし、21世紀の現実は2001911ニューヨーク同時多発テロと共に

これまで世界経済を牽引してきたはずの欧米諸国経済の衰退と

高度経済成長を遂げアジアの代表国となるはずだった日本の老化だった。

そして追い打ちを掛けるように2011311東日本大震災の発生で

言いようのない深いダメージを日本は受けて

今、世界経済と日本の国内環境は、何とも不透明感漂う21世紀の幕開けとなった。


            


1972
年に故名誉会長が死線をさ迷い復活した体で

遅咲きの48歳にして起業した我が社は

戦後約30年、70年安保闘争が吹き荒れ、浅間山荘事件、沖縄返還、

日本列島改造論を唱えた田中角栄首相の就任

そして、2月に冬期札幌オリンピックが開催されるという

大きな変動の年に産声を上げた。

 

創業者の想いは、先ず家族の生活を守る事

そして東京オリンピック当時、首都東京で交通信号工事を通して体感した

交通信号事業への夢の実現があったのかもしれない。

 

それから40年、創業者が家族の生活を支える為に起こした会社は

社員の生活を支える会社となり、海外の人々とも交流し、
車社会の安全の一躍を担う会社に成長を遂げた。
しかし、それは決して平坦な道のりではなかった。

 

時代の環境変化は、常に生けるものに試練を与え続け、

それに適合したものだけが進化を遂げ、種を存続してきた。

そのプロセスの中にあって、常に必要とされ続ける企業とはどうあるべきかを
我々は問い続ける必要があるだろう…

 

創業者は、30周年記(78歳)に『世に資するものを作り続けて』という言葉を残している。
そこに40年間、我が社を支えてきた進化の鍵があるのかもしれない。

我々は、創業者の原点を知りその意思を継ぎ、先ず自らの家族を愛し、
社の繁栄がそこに集う人々の営みを支え、地域への貢献となり、
我々が活動する業界発展に繋がるものであると考えよう。

 

だから今、不透明感漂う時代が目の前に広がっているが、

萎縮せず、これまでもそうだったように自由闊達に歩を前へ進めていく事をここに誓い、
それを現していこう。 

        

20123月吉日 文責:代表取締役社長 糸永康平。

 

***************************全文


さあ、今日は経営計画発表会で全社が集まり
明日は、40周年記念式典だ。

皆がそれぞれこの二つの式典の準備に動いていた
ご苦労様です。。

せっかくなので、皆で思いっきり楽しみましょう。。




             
     

 

 

 


創業、40年。。

 

 


四月半ばからツツジが朝の散歩道に咲き、

四月末頃には、庭に藤の紫が綺麗に咲いて…

早、5月となった。

 

実は四月の末から当社は、9日程連休を頂いていたが

今年は、何だかあっという間に休日が過ぎ去ってしまった。。

 

ジャングルのようになっていた庭に這いつくばって

草と虫と数日、格闘した。。

畑の草取りにも励んだ。

日常とは違う、人との関わりが少ない時間を何だか楽しんだ。


                               


長男坊は、この4月から大学を休学して

1年程、世界をバックパックすると言い出し

シンガポールからアジアに入って

マレーシア、タイ、カンボジアと回って

今、ベトナムに居るようだ…

「全くもって、世の中を舐めとる奴だ」と妻に言うと

「最近、貴方によく似てきたわ…」と刃を返された。。

 

次男坊は、この連休人吉の高校から帰ってきて

将来の進路の事で考えたいということで

何やら妻と計画していたかと思ったら

山篭りして考えるとなったらしく…

テントと寝袋を持って4泊5日で近くの山に篭って、
その間、毎日妻が食事を届けて、話を聞いて、、そして帰っていった。

何とも変な奴らだ。。


     

  【世界一周してくると旅立った、長男坊】   【進路を考えると山篭りした次男坊】

私は、この連休明けに全社集合の経営計画発表と

40周年記念式典を行うことになっていて

そのことを考えていると何となく圧迫感がありゆったりしない気分だった。

 

本来、40周年記念なのでこれまでお世話になったお客様や

取引のある方々をお呼びして、

お礼を述べる式としなければならないところだが

昨年から色々と災害や経済環境変化も激しく、

今回は、派手なことは執り行なわず、

内祝いとさせていただこうと計画を進めさせてもらっている。

 

それで、日頃社業ばかりを優先にして

どちらかというと、家の事は放り投げてしまっている我々としては

この機会に社員の家族も呼べて、工場見学ツアーなども計画して

日頃、我々を内側から支えてくれている家族に対し
少しばかりお礼ができる会になればと思っている。


 


今回、グループ会社の社員も全員集合してもらうことにしているのだが

創業当時、我が社は総員5名で私の父がスタートした会社だが

多難なるこの40年を経て

グループ会社を含めた総員は、230名程の組織となっている。

 

『つねに必要とされ続ける企業を目指して』

SD会メンバーとこの40周年を迎えるにあたり考えた言葉だが

外にも内にも必要とされる組織であり続ければ

きっと、次の50周年を迎えることができるのだろう。


                                         

                       【雑草もよく見ると美しい。。】

何のために仕事をやっているのか…

 

若い頃は、自己実現の思いばかりが強く

周りが見えていないことすら気づかずにいたが

50歳になってようやく家族の大事さに気づかされ

それから出来るだけ食事を共にすることを心掛け

家族との会話を遅まきながら楽しむことを知った。

 

何だかんだ言ってもやはり社会の原点は、夫婦がベースだ。

自分の家族とちゃんと向き合えずに、

会社経営が出来るはずもないと最近思う。。

 

まあ、こんなふうに言えるようになったのも

辛口の妻と早朝散歩で毎朝向き合ってきたからなのだろう…

ありがたいと思っている。。

 

さて、明日から業務スタートだ。

ゆっくりとさせてもらった分、来週からハードだな…

踏ん張るとしよう。。

 

 

 




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