週末に少し早起きをして
自宅近くにある公園へ歩くぐらいの速度で
まだ大丈夫かな。。と自分の体力測定を兼ねて走ってみる。
月初めは満開の桜が綺麗だったが
月半ばには春の嵐のような強風が吹き荒れ
桜吹雪が舞、一挙に桜は潔ぎよく散って
今は、ツツジが綺麗な紅色の姿を華やかに見せてくれている。
その公園に小さな神社がある。八百万の神らしい。。
若い頃は左翼で、神頼みとかが嫌いで
自分の見たものしか信じないタイプで、随分と尖っていた。
今も多少その傾向があるが。。
最近は、古事記などを読んで
日本の神々の人間臭い愛憎劇の話は面白いと
少し興味を持つようになった。
それで最近は、神との会話を楽しんでいる。
「おはようございます。ご無沙汰してます。」から始まり
「今家族はこんなことで揉めてます。」とか
「社業は、こんな感じで上手くいきません。。」とか
「こんな風にやっていこうと思うので、見守ってください。」とか
手を合わせて、一人でブツブツと神との会話をすると
なんだか不思議に自分が素直な気持ちになれたような気がするものだなと。。
今、自分の目の前に起こることは「全てが必然である」と思えると
問題は相手にあるのではなく、自分の中にあるのだなと思えたりする。
起こって来る事象を必然として受け入れることができれば
ポジティブに楽に生きて行けるのかもしれない。。
すると、自分の中に天使と悪魔と神までがいるような気がして
自分の考え方ひとつなのだな。。と思えてくる。
この公園には古い森があり、苔むした巨木や
小高い丘を越えて中に入っていくと
とても神秘的な場所があり、清水が流れる場所には
山椒魚が生息している秘密の場所がある。。
そこに行くと山深くにいる気がするぐらいにとても静かで
鳥たちの会話のような囀りを聴くことができる。
今、世の中は
中東の空爆やら無差別テロやら朝鮮半島の不穏な動きなど
何やら先行き不透明感が蔓延している。
72年に渡り平和を維持してきた日本
先人達の尊い命の代償を忘れ
無責任なSF戦争映画のようなことで
安易に戦火に巻き込まれることなどあってはならない。
今朝は小春日和のまだ肌寒い空に木々の木洩れ陽が美しかった。
庭の草花も命の息吹を感じれる季節だ。
我々はできるとこから
和をもって、今ある危機を好機に転換する努力を続けていこう。